いよいよ日本上陸のメルセデスベンツのキャンピングカー「HYMER B-MCI」が大注目のHYMER。その歴史は、休日の新しい過ごし方を提案するため、1957年に1台のキャンピングトレーラーを作ったドイツのエンジニアから生まれた。そこから今日まで、最先端を走り続ける「HYMER」。その歴史をここで今、編集部に残る貴重な資料とともに振り返る。
HYMER その歴史のすべて
バカンスの新しい過ごし方を提案すべく生まれたHYMER(ハイマー)。今や量産車を多数ラインナップする量産メーカーだが、始まりは1台のキャンピングトレーラー作りからだった。
1956年〜 車輪の上の休日を!?
60年前の1957年、創業者であるアーウィン・ハイマーは1台のキャンピングトレーラーを作った。そこから今日まで、ハイマーは革新的な各種技術を導入し、世界各国に向けキャンピングカーを製造し続けているわけだ。
もともとハイマー家は、自動車一家だった。アーウィン・ハイマーの父であるアルフォンス・ハイマーは、 1923年からドイツ南部にある湖畔の町バート・ウォルドゼーで、コーチビルダー(車体にボディを架装する)として農業用の車両製作を生業としていた。
転機となったのは1956年。アーウィン・ハイマーが家業に加わった年だ。
今でもそうだが、ドイツの勤め人は休暇を2週間~4週間ほど取る。ほとんどの人は家で過ごすか、親戚に会いに行く。戦後間もない当時、クルマはぜいたくな時代だった。しかしアーウィン・ハイマーは、いわばクルマの中で過ごす休日(holiday on wheels=直訳すれば車輪の上の休日)という、これからの新しい休暇の過ごし方を模索し、クルマに装着する台車でキャンピングトレーラーを開発しようとしたのだ。
第二次世界大戦中、航空機を設計していたエーリッヒ・バッヘム(通称「エリバ」)を巻き込んで、若いメカニック、というかデザイナーであるアーウィン・ハイマーは、1956年にオーダーメイドのキャンピングトレーラーを製作した。
翌年には、「エリバ」のプロトタイプを製作。固定屋根のいわゆるUr-トロルといわれたそれで、バッヘムとハイマーによる新しい休日の過ごし方「クルマの中で過ごす」という提案は具現化した。
同年に2人は、ハイマー社とエリバ社を起業(2社は協力企業だ)。1958年には現在も製作されているエリバ、トロルとツーリングの生産を開始。フレームのある構築、ポップアップルーフは初作からすでに完成形となっていた。
1961年には、最初の自走式キャンピングカーを発表。
自身がフランス南部で夏休みの最中、ホテルやキャンプ場以外に宿泊することができないだろうかと生まれたのがこの自走式という形態だ。キッチンやトイレなどを備え、The Caravano(キャラバーノ)と名付けられたそれは、より快適にクルマの中で休日を過ごすために生まれたモデルだった。
ポップアップルーフを備えたこのバンは、現在のバンコンの元祖といえるだろう。もちろん少数生産やプライベートで同様の改造を行なった例はあっただろうが、大量生産は同社が初めてとなる。
1966年になると、ハイマーはキャンピングトレーラーのラインナップにノヴァというタイプ違いを追加した。これは、ファミリーが室内で楽しめるよう快適さと広さを重視したモデルだ。
1971年〜 自走式のラインナップ拡充へ
1971年、キャンピングカーの量産体制を築くとともに、自走式のモーターホーム「ハイマーモービル」をキャラバンサロンで発表。大型車のメルセデス・ベンツトランスポーターを使用した「クルマの中で(しかも夢のように)過ごせる」ハイエンドモデルを完成させたのだった。
1976年には、コンパクトなフルコン「ハイマーモービル521」も登場。ベース車をメルセデスから安価なオペルのベッドフォードブリッツとし低コスト化。プルダウンダブルベッドを備え、1978年までの生産台数は1000台超とベストセラーになった。ハイマー独自のPUALの採用もこのころ。これはPU=ポリウレタンとAL=アルミニウムを接着したもので、軽量で断熱性の高さを誇る外装パネルのことである。
1979年には、新型のメルセデス・ベンツをベースにしたハイエンドモデルSクラスを発表。Sは「スーペリア」の意だ。柔らかく丸みを帯びたエッジを持つFRPの屋根が特徴だ。エントリーユーザー向けのベッドフォードモデルベースの521と合わせて、このSクラスの登場によって、あらゆるユーザーの嗜好に対応できるラインナップが完成したのだった。このへんは、ベンツのグレード展開と似ている。ハイマーもまた、キャンピングカーにおけるベンツのように、ラインナップの展開を拡大し続けていくのである。
1980年にハイマーとエリバは正式合併し、同時期、キャンピングカーメーカーのデスレフとTECを吸収した。
ヨーロッパにおいて、キャンピングカーやキャンピングトレーラー製造が冒険的な時代は終わった…。ハイマーは1981年にさらにモーターホームを発表。メルセデス・ベンツのシャシーを使いつつ、Sクラスよりも安価。それがBクラスだ。すぐにこのBクラスはベストセラーとなり、’83~’84年の間に1万台が出荷されたのだった。
1985年には、全モデルに6年間の保証を付けて販売(キャンピングカーメーカー初)。
1986年には、接着工法のアルミパネルを用いたハイマーモービル880を発表するなど、ニューモデルラッシュが続いたのだった。
余談だが、Bクラスは、1986年からフィアットデュカトのシャシーを使用し、長さ約7.5m、幅約2.3m、高さ約2.9m、就寝人数が4~5人と設定されているのが、今日までの伝統である。
1990年〜 絶対的な安全性、飽きのこないルックス
1990年代以降になると、自走式キャンピングカー(フルコン)の人気が爆発。セールスは5000台以上を記録するほどにもなった。この状況を踏まえ、さらなる安全性を求めて、ハイマーは’93年に衝突試験を実施(これもキャンピングカーでは初の実施だった)。安全性の強化へとつながっていく。
以後、イヤーモデルのチェンジを繰り返し、好セールスを記録。’96年にニースマン+ビショフを、’98年にはバーストナーをそれぞれ買収しさらに事業拡大を図るなど、ハイマーブランドとして確立された地位を築くことに成功したのだった。
2011年には、自社がこれまで製作してきた車両を展示するアーウィン・ハイマーミュージアムをオープン。約100台のキャンピングカーを展示してあるそこは、創業者が考える最後のプロジェクトだった。博物館がオープンしたことを見届け満足したのだろうか、2年後の4月11日、アーウィン・ハイマーは82歳でこの世を去ったのだった。
しかし、ハイマーブランドは生き続ける。2013年にはBクラスの外観が改良され、屋根は雹(ひょう)に耐性のあるFRPを採用するなど、革新的な技術を採用し続けている。
2017年、ハイマーは60年を迎えた。60周年記念モデルの発売や、2016年にプロトタイプがお披露目されたSクラスダイナミックラインの登場など話題を集めた。
ここまで読んできたあなたなら、ここまでハイマーがみなに信頼されているのは、キャンピングカーのパイオニアというだけではないことが、わかるだろう。
それは、各車両ともデザインが優れていたからにほかならない。派手さはないが、飽きがこないカラーリングに使い勝手を考慮した専用設計品の数々。デザイナーであるアーウィン・ハイマーがいかにキャンピングカーに愛を持って接してきたかがわかるからこそ信頼を築けたのかもしれないが。
ハイマーは、これからキャンピングカーのフラッグシップとして、どういう歴史を刻んでいくのだろう。